花っていいもの

 

きらびやかな園芸種や外来種の花よりは、素朴な野の花が好き。

今日は休み。休みといってもほんとの休み、と電源をOFFにする。

沢の入り口の小さなお地蔵さん。私が一番近くに住んでいるのに、半年前まではいつも集落のおばあちゃんが手入れをしていてくれていた。

そのおばあちゃんが亡くなって、今年から小さなお地蔵さんのお世話は私がすることにした。

ということで、お供えする花を探しに散歩へGO.

すると何でもない道端に、実に外来種の花が多いことに気づく。

地味な野草の花より、ぱっと目につく華やかな色の花に手が出る。

お地蔵さんを彩る供花だから。いいんです、これで。

外国の花は強靭にはびこって在来種の生育環境を脅かすものが多い。ところかまわず増えてデリカシーがないし、カラフルに化粧ばっかりしてちっとも奥ゆかしくない、なんてちょっと毛嫌いしてきたけど、こうしてお地蔵さんを豪華に彩ってくれるなら…

なんだかちょっと有り難い気持ち。

さてと。

集めた花々を束にして、沢のある小さなお地蔵さんのところにてくてくたどり着いたら、誰かがすでにお花を供えておいてくださる。

しばらくお花片手につっ立っていた。

つつましやかな風がふわり。

 

空き家になったおばあちゃんの庭は、野生化したマーガレットとおばあちゃんが生前植えた園芸種の花々できらびやか。

一人暮らしのおばあちゃんに生き甲斐と笑顔を与えてくれていたのは、これらの色鮮やかな花々だった。

今日から私は、どんな花でも、素直に愛でよう。

@2018.6.5


一点の黄色

芽吹き前の閑散とした森。スギ林以外は茶一色のカサカサした木々だけど、枝先にはちゃんと冬芽がついて、ぷくぷくとふくらんできている。

冬芽が開くときは、指先にできたしもやけのような感じなのかな。

手をパーにしてみると、指の一本一本が枝に見えてきて、指先がむずがゆくなってきた。明日から、晴れマークが並んで、気温もぐっと上がるらしい。あちこちで一斉に芽吹きが始まるだろう。

 

目の見えないおばあちゃんの施設へ行くのに、今日は遠回りの山道ルートを走ることにした。

春先の今、出会いたい木があった。

 

色のない木々の羅列に、淡い黄色の花。

この一本の木だけが、早々、葉の展開前に花を咲かせている。

アオモジという木は、比較的暖かい地方に分布する木で、滋賀県にはあまり自生していない、このあたりにはこの1本しかないんじゃないかな、と博士が教えてくれた。それももう6年ほど前の記憶。

 

今年も、約束したかのように、当たり前の顔して花が咲く。

相変わらず、な感じに、気持ちがほころんだ。

誰も気に留めないだろう、今までもこれからも。もうあと数日で、森はカラフルに彩られて、アオモジの花など目立たなくなる。

 

20代の時は、自分が変わることに必死で、いろんなことに手を出したり立ち向かったりして、何かを目指して奮闘した。

それが30代半ばにきて、自分が変わることに一生懸命になるというよりは、自分がこれまで何があっても変わらず温め続けてきたものを、これからも持ち続けることの方が大切なのだろうと思うようになった。

加熱じゃなくて、保温?

ま、どっちでもいいけど、新しい流行りのものや目先のちょっとしたことにとらわれないで、私はずっと好きできたほるんを続けよう。お世話になった人や物をいつまでも大事に思おう。

@2018.3.24


たんのたん

千代子さん家のすぐ横には谷がある。

能家の人はみな「たんのたん」と呼ぶ。「谷の谷」というおもしろい名前の谷だ。

冬になると「たんのたん」の水を家の前にパイプでひいてきて、融雪に使う。毎年水量が豊富で、雪どけの労力を半減させてくれる。

千代子さんの家が空っぽになって、2か月が経とうとしている。

空っぽの家の初めての冬。

犬のハナちゃんがこっちを見ている。ナンテンの赤い実が凍ってつららをつけている。

今日、積雪が1mを超えた。一見真っ白だけど、谷の水は少しずつじわじわと下から雪を溶かし、やがて道を示していくだろう。

でも、もう足跡がつくことはない。

 

翌日、車道に水がしみだし、しつこい雪を徐々に溶かしてくれていた。

車で通ると、滑らない安定感があった。

陽が射すと、一緒になって雪をやわらかくしてくれた。

あぁ、千代子さんは、ここにいなさった。

この地の冬のつらさを、一番よくご存知の。

千代子さんが作ってくれたあったかいおかずの湯気。

まぶたがじんと熱く熱くなったけど

私は、くっと上半身を引きしめて、背筋をピンと伸ばした。

2018.1.29


時の止まる経験

去年の12月、近しい人の死や病気、久しぶりな人との再会もあったりして、とにかく、気持ちがわさわさと揺れ動く出来事が入れ替わり立ち替わりやってきて、なんのこっちゃわからない日が続いた。その日の感情が消化できないまま夜が来て、明日のために眠りにつき、そのまま持ちこして翌朝を迎える。まるで心は混沌とした絵の具のパレット。

挙句の果てに、屋根から落ちる。かんかんに凍てた早朝、ヤマガラさんたちに餌をあげようと裸足で屋根に。滑り出したらなすがまま。幸い、すごく落ち着いた精神状態で(諦め?)自分の行く先を想像でき、ネコのように四つん這いでシュタっと着地した。アスファルトの地面は相当固く、左膝に全体重がかかった。

私の膝の皿は頑丈みたいで、奇跡的にすり傷で済んだ。小学生が自転車でこけたみたいな大きな絆創膏が恥ずかしい程度。それより庭に散らかったヒマワリの種にヤマガラが来て、それを猫が狙うものだから、私の怪我よりヒマワリの種の回収が大変だったぐらいだ。

数日、ムチ打ちのような症状が続いたが、わりと素直に治っていった。でもやはり、気持ちだけが取り残されて、ざわついたまま過ごした。

 

ちょっと待って…人生についていけない。そんな時がある。そんなに次から次へと来られても、小さく不器用な私には、対処しきれないのです。

しばし時間がぴたっと止まらないかしら。私にひとりの静かな時間をください。

 

…と、だだっ広い漠然とした夜空に向かってお願いした。切実に何回か頼んでみた。

が、やはり誰も相手してくれないので、私は散らかった机上からぶら下がっているボタンのついたスイッチを握りしめた。

親指で深く突起を押し込む。音はしなかったが、効いた、という手ごたえがあった。

 

世界がぴたと停止。

鬼ごっこの「ちょっとタンマ!」のよう。まず息を整え、辺りの様子をうかがう。

 

オリオン座もぴた。

シンフォニーもぴた。

フロントガラスを這う氷の触手もぴた。

おばあちゃんの脳腫瘍が視神経を侵食するのもぴた。

 

これで安心して居なさい、と穏やかな声。

私を取り巻くすべての人たちに想いを巡らせる。(もちろん、あなたのことも考えました。)

遠い近い、昔や今に関係なく、みんなみんな。

好きですって抱きしめたいけど、日本人だからNGだね。

優しさの海にどぶんとつかって、おおいに泳ぐ。

それもやがて沖に出ると、優しい波は別離の淋しさに変わってしまう。

目の覚めるような水色の海も、濃い濃い紺色の深い色になって、足元が怖くなる。

ちょっと、質問していいですか。

みんな優しいのに、どうして悲しいのかな。

亡き人にはもう会えないのかな。

私の生き方は、右往左往していませんか。

あちこちに飛散する無数の思考たち。

さて、バケツに水を汲んで雑巾をしぼって、どこから掃除しようか。

と、腕まくりをしてみたものの、結局椅子に座りこんできょとんとしてしまった。

あぁ、そうか。心の掃除は、大晦日のようにはいかない。

 

窓の外を見やると雪がちらついている。屋根はもう真っ白になって雪の厚みが出来ている。いつから降っていたのだろう。森は静まり返ってウンともスンとも言わない。

気がつけば、猫がいつものように私の膝に乗ってゴロゴロ喉をならしている。

 

明日はゆっくり休もう。

2018.1