このところ傾倒している音楽 2019.7

・グリーグ/ピアノコンチェルト

・ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ




・クラリネットの音が好きで、モーツァルトのクラリネット五重奏曲がお気に入り。

本番の日の朝とか、レッスンに行く時とか、初めての人に会う時とか、緊張をほぐすためにはクラリネットの木のあったかい音がいい。

・ピアノの音が好きで、最近はピアノをよく聴く。オケばかり聴いてると、ちょっとたまに疲れるから。ピアノは音色がひとつで、何だかシンプルな気持ちになる。好きなのは昔からラヴェルとドビュッシーとショパン。回想にぴったり。

・もちろんホルンの音は好きで、憧れは果てしない。たったの一音でいいから、おかあさんのように優しくて、スフレのように口どけやわらかで、それでいて、大粒の水滴みたいな弾力のある音が出したいと思って、練習する。

・人の声も好きで、時々合唱もやりたくなる。武満徹さんの合唱曲「小さな空」を、いつか歌ってみたい。昔ホンジュラスの底抜けに明るく青い空を見上げて、ひとりで口ずさんだものだ。

音楽ってなんでこんなにステキなのかなぁ、いつでもどこでも。



今までもこれからも、この1回きりだと思う。

大きな大きな素敵なソロの機会をいただいてしまった。

こんなのできっこない!と楽譜を突っぱねて帰った初回練習から、つまずいてばかりの日々。

半年間ずいぶんいろんなドラマがあって、本番だけ妖精パックの魔法がかかった。

今から思えば、あれもこれも全部夢だったのかも。夏の夜の夢。

中学でほるんに出会って、それからずっとほるんだけは握りしめてきたけど、こんな本番は初めてだった。自分自身を音楽に重ね合わせて音に想いを託す。

とても拙い演奏だけど、ちょっと気に入っている。自己満足。私は自分のためにほるんを吹く。


懐かしの音発見。去年の秋のちょとしたソロ。

楽器はストンビ。スペインのドライな風をイメージさせる、明るく情熱的な音のする楽器でした。

ピアノは幼いころのピアノの先生。

合わせ練習ほぼナシ。出だしも終わりもズレまくったけど、テレパシーで以心伝心、なんとなくごまかしがきいているのが笑える。

私にはうってつけの易しい曲。アレンジは伊藤康英さんの。さすが、ちょっとひねりのあるいい伴奏。

生まれて初めて、舞台が気持ちいいと思った本番でした。

もし、お暇でしたら ↓↓


ナチュラルホルン

見た目も音もシンプル。そのシンプルさにキュンとくる。

意外と、私の中にスーッと入ってきてすぐに馴染んでくれた。

 

まずビジュアル的にうっとり。

管をぐるんと巻いただけのシンプルな形。余計なものはなにもついてない。

当然、軽い。片手でくるんと持てる。

 

何か、昔の道具みたい。ちょっと不便なところが、人間らしい。

「よっこいしょ」と、楽章ごとに管を取り替える。

管と管があたってしまう部分にクッションとしてヒモを結ぶ。

Aが出ない。オケでチューニング出来ない(笑

 

響きは、素朴。ふくよかな倍音の響き。

ホンモノのホルン五度。

心地よい三音のはまり具合。

 

こんな風に自然に吹けたら、いい音楽になるのかも。

気持ちがニュートラルになる。

 

細かいことなんて、ホントどうでもよくなってきた。

@2018.6.12


今日は大津管弦楽団でブラームスのシンフォニー2番の本番でした。

半年前、初めて出会って一目惚れ。

自然とホルンをこよなく愛したというブラームスに一方的な親近感を覚え、日々ベタベタにロマンチックなフレーズをまるでラブレターのように反芻。

楽譜の音符ひとつひとつが、大小はあるもののすべてがダイヤモンドのような凛とした存在感。

名曲には然るべき理由がある。

本番が終わって、なんだかもうこれ以上ほしいものも食べたいものも飲みたいものもないなぁ…なんて満たされた気持ちでした。

帰ってみると、ここ数日しばらく音楽に頭が奔走していたせいか、いろんな変化に気づく。

ホウレンソウの花が咲いてしまってたり、巣箱のシジュウカラのひながかえってたり、もうストーブがいらなくなってたり、田んぼの苗がしゃんと活着していたり、畔のモリアオガエルの卵塊が125個、等々。

不器用だから余計たち悪いんだけど、やっぱりどうもめちゃくちゃ好きみたいだから、いろいろしんどくても、ほるん、やめられない。

背筋ぴんと伸ばしてまっすぐぶれずに行こ。どうだっていいものにいちいち立ち止まらない。ただ、肝心なこととほるんは

両立しなければならない。ぶきっちょな私に、できるかしら。

2018.6.3


ついに実現!”田んぼでほるん”

お付き合いしてくれた中学2年生のKちゃん♪ありがとう!

2018.5.20


歩くと落ち葉がカサカサ音を立てたり、木漏れ日がまぶしかったり、朝の陽射しが斜めにまっすぐ入ったとき、びわ湖の波が穏やかなとき、鳥のさえずりが和やかなとき、ブラームスを思い浮かべる。

図書館で借りたブラームスの本、読み終わらないまま返却期限が過ぎてしまって、ポストにポイっと入れたら返せるんだけど、何だかそれも申し訳ない気もして、直接カウンターで一言謝って返そうと思いつつ、図書館の開いている時間に行けなくて、そのまま何日も過ぎてしまって、余計に返すのが遅れてしまって… まるで優柔不断なクラゲみたいなことしている。

自然を愛で、ホルンも好きだったというブラームスに、親近感を感じながら、窓辺で山に向かってぽーっと山ほるん。

@2018.3.24


氷点下の続く毎日。水道凍る、ニンジン凍る、はおいといて。私はほるんが凍らないか心配。

この心配を打ち明けても、たいていの人に流される。でも、私はけっこう真剣に心配している。

ほるんは金属だから、すぐ冷たくなる。実際、練習する時ケースを開けるとカンカンに冷えてる。

どれだけ練習後に抜いても、管の中に水滴が多少残る。

ロータリーの繊細な部分に水がついていて、それがもしも凍って膨張したら…

管に残った水がもしも凍って膨張したら…

水が膨張して金属をメキメキ押し上げて変形したほるんを想像したら…気が狂いそうになる。

雪で家に帰れなくて、車にほるんを積んで通勤。昨日やっと家でほるんを取り出した。

すると、バルブが固くて押せない。発狂。半泣きになってストーブの前でほるんをアツアツにする。

1分で普通に動くようになった。

エチュードさらおうと思って電子メトロノームつけたら、音がおかしい。小さくなったり聞こえなくなったりする。電池を替えても直らない。スピーカーが凍りついて振動しないんじゃない?とのこと。

これもプチ発狂。

冬の寒さが音楽に差し支えるのだけは、絶対にイヤ。

雪で練習に行けないとかいうのも然り。

車に毛布とスコップ搭載。渋滞を見越して早めに出発して、いつもよりも早く練習場に着いて、やることなくて待って、時間が来て音出し始めて、他の人よりいっぱい練習したくせに調子が悪く、下手なほるんに吹いてため息ついて、練習終わってやっと、帰れないことに気が付く(笑 凍り付いた道を視界の悪い吹雪の中、除雪車の入らない時間帯に走るなんて非常識だって、後から知る。後の祭り。雪祭り。毎年これの繰り返し。

これで上手かったらかっこいいけど、そうでもないところが、つくづくバカです。

2018.1.27


ほるんのまぁるい形や優しい色や音を、はっと気がつくと、いつも思い描いている。

それこそまるで初めて好きになった人のよう。

唇がむずむずして自然と潤ってくる。

どこでどのようにほるんを吹くのが私らしくて自然だろう。

ひとりではどうしても、かなしみというしみが心に一滴。


ほるんを吹かない音楽

朝からしとしと暖かい雨。

今日は田んぼで遊ぶつもりだったけど、雨のせいで家の中。

楽しみにしていた遠足が延期になって、用意したリュックがぽつんと取り残される感じ。

お昼すぎ、急に空が明るくなって、重たい雲がどんどこ流れていく。

ぱぁっとまぶしい陽差し。

つい嬉しくなってお外でほるん。

ぽ~ って伸ばしたり、ととととと・・・ って切ったり、ぽい~ん って高さを変えたり 

ほるんでいろいろ遊んでいたら唇が疲れてしまった。

ほるんを抱えてしばし止まる。

…するといろんな音が聞こえてくる。

森からぽぽ、ぽぽ、とツツドリののんびりほるん。

田んぼからカラコロカラコロ、転がるようなモリアオガエルのパーカッション。

近くの川のせせらぎは、ストリングスのように爽やかに。

カジカガエルのサラサラした歌声は合唱の音色。

クロツグミやキビタキがフルートのオブリガードを奏でる。

風のようにすぅっとなでるような森の音楽たち。

私はほるんを吹いてもいいかしら?

何だかずいぶんお邪魔のような気がして、困ってしまうのです。

武満徹さんの合唱曲のコンサートにいって、お隣のお客さんがそのメロディーを一緒に口ずさんでいる。あぁ、台無し。その方がこの音楽に共感しているのは素敵なことだけど。

そのお客さんのような感じに、私はなっていないかしら。 

 

ほるんを吹かない音楽がなんとも素敵なので、困ってしまうのです。

@2016.6.5